ちょっと悲しいお話ですが、産んであげれなかった子がいました。
ほんとは産んであげたかったのですが、、
何に対してお参りにいっているのか。。
自分への戒めと命への謝罪。
あたりまえかもしれないが、いつも悲しくなります。
自分がしょった十字架としてこれはちゃんとお参りにはいかなくちゃ。と。
生まれていないから、すべて想像ですが、産んでいたらいくつになったんだろう?とも考えたりします。
からだの傷はいつか消えるが心の傷はなかなか消えないし消してはいけない傷もある。
珍しいカキコでした。
ちょっと悲しいお話ですが、産んであげれなかった子がいました。
ほんとは産んであげたかったのですが、、
何に対してお参りにいっているのか。。
自分への戒めと命への謝罪。
あたりまえかもしれないが、いつも悲しくなります。
自分がしょった十字架としてこれはちゃんとお参りにはいかなくちゃ。と。
生まれていないから、すべて想像ですが、産んでいたらいくつになったんだろう?とも考えたりします。
からだの傷はいつか消えるが心の傷はなかなか消えないし消してはいけない傷もある。
珍しいカキコでした。
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子どもたち。でした。